8/01/2016

現代読モ論「最近の読モはつまらなi」の真相。雑誌が持つコミュニティ

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読者モデル。

手に届きそうで届かないという絶妙な存在で、1990年代から日本の雑誌でなくてはならない存在。

芸能事務所に登録しているわけではないけれども、とってもかわいくて流行に敏感で、読者にとっては手の届きそうな存在。今で言う会いに行けるアイドルみたいな物の走りなのかな、と思う。雑誌編集者からしたらほんとのモデルに比べてギャラが安く、マネージャーを通さなくても、直接連絡がとれるのも便利なところ。

最新の情報に敏感な彼女達からの情報をまとめてわかりやすくして、それを雑誌に載せてある。だから中学生高校生は毎月地元の本屋で発売日を楽しみにしてた。プチセブン、セブンティーンを誰かが買って学校にもってきてた。それをセーラー服で4−5人で囲んでみた。

わたしは中学高校と東京で暮らしていますが、東京の片田舎にて暮らしていたため、やっぱり彼女達は別世界の存在だった。一度友達がダイエット企画に掲載されて、校長に呼び出されたのも懐かしいw

大学に入っても、私の大学には読モなんているわけなく(自虐的)、別に自分には縁のない人たち、と思ってきました。

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元祖読モと現代読モ

なのに人生は面白い。ブロガーとして書き始めたら急に元/現読者モデルの友達が増えました。

で、気づいたこと。2000年代前半から読モをしていた人たちと、「ここ最近読者モデルになった」人たちは、明らかに違う。最近の人たち、なんていうか、すごくみんないい子。逆に言うとあまりアクがない。普通に、一般にいそうな可愛い子たちだった。なんでだろう。考えてみました。

昔ながらの読モは、それこそIT長者たちにハワイにジェットで送ってもらっていたようで、その分自我も強い。私の友達はこの世代の下のほう。この写真一枚が私の勝負なのよ!ってかんじで、自分が一番写りのいいポーズと場所をとるために人を押しのけて出る人たちもいる。その現場に遭遇した時は、ドン引きしたけど。

今や芸能人の押切もえがプチセブンに載っていた頃を、私はぎりぎり覚えてる。「全身青を着て、コギャルの格好をしてセンター街で目立って声をかけられるのを待った」と彼女は何かのインタビューに答えていた。あく、ありすぎでしょ。

ちょい脱線するけど、1990年代末にめっちゃはやっていたギャル雑誌eggのゴングロギャルさんたちの今を見ると、今時のきれいなお姉さんになってる。彼女達は、時代が求める”ちょっと先”を物凄くうまく体現する天才なんだと思った。参考:eggと小悪魔agehaの人気モデル達が変化しすぎな件(naver matomeより)

 

読モオンラインの発信の時代へ、雑誌社はコミュニティ作り

で、その元祖読モ達はオンラインに出会う。ブログがはやり始めた2008年くらいに、Livedoorが読者モデルにブログを始めさせたそう。その後amebaで大量に芸能人ブログが出来て、読モたちもそちらへ(ここらへんは)。で、2011-12年頃から、Twitter、今やinstagramやSnapchatとツールを変え、自分たちの世界観やトレンドを直接発信していくようになった。

自分のスタイル/トレンドを発信したい人は、別に雑誌撮影に呼ばれるのを待たない。雑誌側もブロガー、instagrammerを特集する。と同時に、それで各媒体、読者モデル対象の囲い込みを始めた。マーケティングリサーチ対象というかんじで、結構な人数の読者モデルを登録させる。例えば、anan総研200人。Aneモデル100名。この中で、スターを選んで自分の雑誌に載せていく。時により、他媒体は出てはいけない、という専属契約をさせられる人も。

最近は、「トレンドを発信する人=オンラインで発信。雑誌がまとめた後の情報を拡散するひと=読者モデル」の構図に変わってきているように思う。

読モたちにとってのゴールは、やはり誌面にでること。わたしは自分自身もそうだけれど、雑誌に出れるというのは特別。専門のカメラマンやライターさん、時にはスタイリストさんやメイクさんが付き、編集さんがディレクションする紙媒体は、やっぱりPriveledge(特権)。そうすると、全国紙の誌面にのりたい読モにとって、編集者のいうことは絶対、となる。コミュニティのトップにいる人はその人たちに声をかける編集者であり、その中でもよく呼ばれて誌面に出る人が、上位。地方から往復3-4万かけてこのイベントのために来ました!という人もいるほど、本気。ハッシュタグを決められて、それ通りにつける。

だからいい子が求められるし、逆に言うととんがった子達は出てきづらい。「こういうニーズがあるから、こういう企画で」に合わせた子達が、求められる。少し感度の高いリサーチ対象でありつつ、マーケティングのツールとして雑誌の企画を広げてもらうことを期待されている。性格的にも、そこまで自我を押し出すわけでもなく、きちんとついてくる感じのタイプが多い。もちろん、相対論ですが。

 

だから、昔から(1990年代や2000年代初期からの)読者モデル達に言わせれば、今の読モは「つまらなくなっちゃった」。

 

そんな雑誌の読モさんのコミュニティの今後を、わたしは相変わらず東京の片田舎目線で、そしてコミュニティマーケティングの目線で、みてる。読モとインスタグラマーというのは二分できるものではないし、インスタグラマーも課金キャスティングされてハッシュタグをつけている今、次の展開がどんどんありそう。

とはいえ、最近自分が雑誌に載る機会があれば、やっぱりその子達と同じように、はいーとついていくのだけどね。ちゃお!